村田修一の嫁と子供!出身大学や高校は?年俸推移と愛車遍歴も紹介!

この記事では栃木ゴールデンブレーブスに所属する村田修一選手について取り上げたいと思います。先日引退を発表したスラッガーです。そんな村田選手ですがどうやら結婚しているということが分かりました。

そこでお嫁さんや子供について知り得た情報をお伝えしたいと思います。もちろん村田選手の出身高校や大学など経歴やこれまでの野球歴なんかもご紹介します。さらに気になる方も多い年俸推移や愛車遍歴などについても調べてみましたのでお楽しみに。

村田修一の出身大学や高校など経歴

プロフィール
名前:村田修一
生年月日:1980年12月28日
年齢:
出身地:福岡県糟屋郡篠栗町
血液型:AB型
身長/体重:177㎝/92㎏
出身高校:東福岡高等学校
出身大学:日本大学
趣味・特技: ゴルフ
ポジション:三塁手、一塁手
背番号:25
所属チーム:栃木ゴールデンブレーブス

村田選手の家族構成は両親と弟がひとり。村田選手の両親はなかなか子供に恵まれず、やっと生まれた村田選手にも水頭症の疑いがあるなどかなり苦労をされたそうです。そのため村田選手の怪我を防ぐために高校へ入学する前にスポーツ選手専門の病院へ入院させ、身体のことについて勉強させるなどかなり大切にしていたようです。

村田選手が野球を始めたのは小学生のころです。中学生のときには地元のボーイズリーグに所属します。

東福岡高校へ進学した後は3年生のときに投手として春と夏の甲子園に出場しています。センバツ甲子園では横浜高校の松坂大輔と投げ合って三回戦敗退、夏の甲子園は後に横浜ベイスターズで同僚となる古木克明擁する豊田大谷高校を相手に初戦敗退という結果に終わります。

秋には第3回AAAアジア選手権の代表に選ばれ、無失点を記録し最優秀防御率賞に輝きました。高校通産30本塁打を記録しています。

日本大学進学後、村田選手は野手へ転向します。大学3年時には井口資仁に並ぶシーズン8本塁打を放ちました。リーグ通算は104試合出場、打率.275、20本塁打、70打点。ベストナインも4度獲得しています。2002年のドラフト会議では自由獲得枠で横浜ベイスターズへ入団します。

ルーキーイヤーから村田選手は一軍で起用されます。2003年当時、村田選手の本職である三塁には古木克明選手がいたため、6月まで村田選手は二塁で起用されました。7月からは古木選手が外野に回ったため、村田選手は本職の三塁で起用されるようになりました。9月には新人最多となる月間10本塁打を放つなど、この年は25本塁打を記録します。

翌2004年は種田仁選手、内川聖一選手と併用され、15本塁打に終わります。2005年に村田選手は不振に陥り、交流戦期間中に9番への降格も経験します。2006年は34本塁打を記録する一方で両リーグ最多の153三振を喫してしまいます。シーズンオフには日米野球の代表に選ばれ、第5戦に本塁打を放ちました。

2007年には三振を減らして、村田選手は初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得しました。翌年は北京五輪の代表に選ばれた影響でシーズンも欠場する試合が増えますが2年連続の本塁打王に輝きます。

2009年のシーズン前に、村田選手はWBCの代表に選ばれますが右足太腿裏の肉離れを起こします。シーズンには4月半ばから復帰しますが、8月には左足太腿裏を痛め、規定打席への到達を逃します。2010年は全試合出場で26本塁打、2011年には7年連続となる20号を記録します。2011年オフにはFA権を行使し、読売ジャイアンツへ移籍します。

移籍1年目となる2012年には全試合出場を果たしますが打撃不振に陥り、12本塁打へ終わります。この不振は翌2013年も続きますが、シーズン途中にフォームを改造したことが奏功し復調、7月8月と2か月連続で月間MVPを獲得します。

2014年には打撃不振によりベイスターズ時代から続けていた連続試合出場記録が676でストップします。2015年には故障が相次ぎ、成績が低迷しました。2016年からは岡本和真選手と三塁手を争い、巨人移籍後では初となるサヨナラ本塁打を放つなど打撃が復調します。

2017年にはケーシー・マギー選手に三塁を譲り、村田選手は代打での出場が中心となります。指名打者制度のある交流戦からスタメン出場が増え、打線のテコ入れのためにマギー選手が二塁で起用されるようになり、空いた三塁での出場が増えました。規定打席には到達しませんでしたが100安打を記録するなど一定の成績は記録しました。しかしこの年のオフにチームの若返りを理由に、村田選手は戦力外通告を受けます。

移籍先の見つからなかった村田選手は2018年3月5日にプロ野球独立リーグ・ベースボール・チャレンジリーグの栃木ゴールデンブレーブスと契約します。7月までのNPB復帰を目指しましたが声をかける球団はなく、9月9日、シーズン最終戦となる群馬ダイヤモンドペガサス戦の後、正式に現役引退を発表しました。

主な獲得タイトル
・本塁打王:2回(2007年、2008年)
・ベストナイン:4回(三塁手部門:2008年、2012年、2013年、2016年)
・ゴールデングラブ賞:3回(2013年、2014年、2016年)
・月間MVP:4回(2003年9月、2008年7月、2013年7月、2013年8月)

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村田修一の嫁や子供について

村田選手は2004年に佐久間絵美さんという会社員の方と結婚しました。絵美さんは栃木県小山市の出身で、出会ったのは村田選手が大学生のころ。村田選手の一目惚れだったそうです。村田選手は絵美さんの「お疲れ様」という言葉が癒しとなるほど、絵美さんのことを大切に思っているようです。

そんなおふたりの間には3人の子供がいます。いずれも男の子で長男が閏哉(じゅんや)くん、次男が鳳晟(こうせい)くん、三男が瑛悟(えいご)くんという名前です。長男の閏哉くんは生まれたときに体重が712グラムしかなく、動脈管開存症という病気を患っていました。そのため生まれてすぐに大手術を経験し、なんとか一命を取り留めました。

閏哉くんが大病から生き延びたことは村田選手の野球観に大きな変化をもたらしました。自分が打てなくても、怪我をしても閏哉くんの頑張りと比べたら大したことはないと思うようになり一試合一試合を全力で臨むようになったのです。

そして村田選手は2008年から新生児医療への支援を開始します。NICU(新生児集中治療室)を置く病院へ寄付金を贈ったり、入院する子供達を球場へ招待したり、病院へ慰問するようにしました。閏哉くんを救ってくれたことへの感謝が根底にあったのかもしれません。

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村田修一の年俸推移と愛車遍歴

ここでは3球団を渡り歩いたスラッガーである村田修一選手の年俸推移をご紹介します。

2003年・・・1500万円(※契約金1億円)
2004年・・・3500万円
2005年・・・3150万円
2006年・・・4150万円
2007年・・・9000万円
2008年・・・1億6000万円
2009年・・・2億6000万円
2010年・・・2億6000万円
2011年・・・2億2000万円
2012年・・・2億2000万円
2013年・・・2億2000万円
2014年・・・3億円
2015年・・・3億円
2016年・・・3億円
2017年・・・2億円
2018年・・・250万円

最後にこちらも気になる方が多いと思われる、村田修一選手の愛車遍歴についてご紹介します。
村田選手の愛車はベンツとのことですが、細かな車種までは分かりませんでした。ただ2013年にはヤナセ・ジャイアンツMVP賞でメルセデスベンツE250を獲得しています。メルセデスベンツ社の提供する高級セダンで、価格はおよそ700万円からです。

現在もこの車を愛用しているのでしょうか。ただ栃木では大きく年収が減ったので、維持できているかが心配になります。


【出典元:https://www.mercedes-benz.co.jp/passengercars/mercedes-benz-cars/models/e-class/e-class-saloon/explore/lineup-WS213.module.html

この記事では男・村田という愛称で親しまれた村田修一選手のこれまでの経歴や野球歴、妻や子供、年俸推移や愛車遍歴についてご紹介しました。
通算300号を超える本塁打を記録したスラッガーでしたが、残念ながらNPBへの復帰はかなわず、村田選手は現役引退を発表しました。第二の人生はどう過ごされるのでしょうか。注目していきたいですね。

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