畠山和洋の嫁と子供!出身高校は?年俸推移と引退を引き留めた人物も紹介!

この記事では東京ヤクルトスワローズに所属していた、畠山和洋選手について取り上げたいと思います。畠山選手は勝負強い打撃でヤクルト打線を長年支え続けてきましたが、2019年シーズン限りでの引退を発表しました。

そんな畠山選手は2009年に結婚されています。そこでお嫁さんやお子さんについて知り得た情報をお伝えしたいと思います。

もちろん畠山選手の出身高校など経歴やこれまでの野球歴なんかもご紹介します。さらに気になる方も多い年俸推移や引退理由などについても調べてみました。

畠山和洋の出身高校など経歴

プロフィール
名前:畠山和洋(はたけやま・かずひろ)
生年月日:1982年9月13日
年齢:
出身地:岩手県花巻市
血液型:O型
身長/体重:180cm/96kg
出身高校:専大北上高校
趣味・特技:パチンコ
ポジション:内野手
背番号:33
所属チーム:東京ヤクルトスワローズ

小学生の頃に野球を始めた畠山選手。始めた当初は野球だけでなく、バスケットボールなどのスポーツもプレーしていました。

進学した中学校にバスケ部が無かったので野球に専念することとし、高校は地元の専大北上高校に進みます。

ちなみに、畠山選手が入部した当時の3年生エースは畠山選手の実兄でした。

そればかりか、畠山選手の父親も専大北上高校のエースとして、選抜大会へ出場したことがあります。

畠山選手自身も1年生と3年生の夏に甲子園へ出場しています。当時は三塁手としてプレーしており、打順も一年時は5番、三年生の時は3番とクリーンアップを打っていましたが、いずれも初戦で敗退しています。

2000年のドラフト会議でヤクルトから5巡目指名を受けプロ入りを果たしますが、プロ2年目の2002年にイースタン・リーグで本塁打王・打点王の二冠に輝くなど素質の片鱗を見せるものの一軍デビューはプロ4年目の8月でした。

2008年、故障者が続出したチームにおいて4番打者に抜擢され、.279・9本塁打・58打点の成績を残します。「年俸900万円の4番打者」と話題になりました。

2011年、代役で4番として出場した試合で2本のホームランをかっ飛ばした畠山選手は、その後4番に定着し好調をキープします。

自身初のオールスター出場も果たし、23本塁打85打点の活躍でチームを2位に導きます。

2012年、前年より成績を落としていましたが、オールスターに2年連続で出場します。

地元・岩手県営野球場で開催された第3戦では見事凱旋ホームランを放ち、前年に起きた東日本大震災で傷ついた人々に力強いエールを送りました。

その後、2014年には初の打率3割、2015年には打点王を獲得します。この年は川端慎吾選手(首位打者)、山田哲人選手(本塁打王・盗塁王)とともに打撃3部門をヤクルト勢で独占するという快挙を成し遂げ、2001年以来のヤクルト優勝へ大いに貢献しました。

2016年以降は背中・足などのケガが相次ぎ、出場試合数が激減してしましました。

そして2019年。ついに畠山選手は引退を発表されました。

主な獲得タイトルと受賞歴
打点王:1回 (2015年)
ベストナイン:1回 (一塁手部門:2015年)
ゴールデングラブ賞:2回 (一塁手部門:2012年、2015年)
月間MVP:1回 (野手部門:2015年6月)
オールスターゲームMVP:1回 (2011年第1戦)

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畠山和洋の嫁と子供について

畠山選手は平成21年(2009年)に結婚されました。気になるお相手ですが、お名前を美里さんといいます。

結婚する前は「柿田美里」というお名前でモデルをされていました。モデルをしていたということで、身長が171センチという長身のお嫁さんです。

ちなみに畠山選手は180センチ。お嫁さんがヒールを履いたらほぼ同じ目線になってしまいますね。

出会いのきっかけは、知人の紹介ということでした。出会ってから1年後に結婚されています。

そんな畠山選手夫妻には2019年現在、子供が二人います。上のお子さんはは2013年3月に誕生した男の子です。下のお子さんに関しては情報がありませんでした。

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畠山和洋の年俸推移と引退を引き留めた人物

ヤクルトの主砲として長年チームをけん引してきた畠山選手。そんな畠山選手の年俸推移を見てみましょう。

2001年:440万円(契約金4000万円)
2002年:560万円
2003年:660万円
2004年:580万円
2005年:610万円
2006年:700万円
2007年:700万円
2008年:900万円
2009年:3200万円
2010年:2800万円
2011年:4100万円
2012年:9700万円
2013年:8500万円
2014年:6400万円
2015年:9000万円
2016年:1億3000万円
2017年:1億3000万円
2018年:1億1000万円
2019年:4000万円

1軍デビューがプロ4年目の2004年、定着したのが8年目の2008年とういうやや遅咲きだった畠山選手。

「年俸900万円の4番打者」としてブレイクした翌年には3倍以上に年俸が上がり、年俸面でも堂々の主力選手入りを果たします。

23本塁打を放った2011年の活躍を受け2012年の年俸は9700万円と大台手前まで来ましたが、その後3年間は足踏みしてしまいます。

しかし2015年、ヤクルトを優勝に導き、ついに1億円プレイヤーの仲間入りを果たします。

2016年、畠山選手は背中の痛みに始まりアキレス腱痛などのケガに悩まされます。

打点王に輝いた前年から大きく成績は下がり、「いつ野球を辞めようか」ということだけを考える、悶々とした日々を送っていました。

2018年、ヤクルトに青木宣親選手選手が復帰することになりました。

青木選手は畠山選手に「鍛えればまだまだできる。辞めるなんてもったいない」という話をしました。この言葉に引退のことばかりを考えていた畠山選手ははっとします。

まだ可能性はあるんだ。だったら辞めるなんてもったいない、と。

その後、畠山選手は青木選手にトレーニング法やバッティングについて次々と質問しました。

かつて練習嫌い・サボりの名手として小川淳司現一軍監督などの指導者を悩ませてきた畠山選手とは思えないその姿勢こそ、畠山選手の復活へかける想いの表れでした。

しかし、残念ながら畠山選手の肉体はもう限界を超えていました。

2019年9月、畠山選手は館山昌平選手とともに引退を発表するに至りました。

この記事では畠山和洋選手の経歴や家族、年俸など紹介して参りました。

畠山選手の引退表明後、多くのチームメイト・ファンから「寂しい」という言葉が聞かれました。

独特の風貌や勝負強いバッティングなどを惜しむ、という意味もあるのでしょうが、一番は「まだ出来るだろう、まだやってくれよ」という想いの表れでした。

引退会見でコーチ業への意欲を自虐的な言葉とともに述べていた畠山選手。

ですが、練習嫌いと言われた畠山選手だからこそ、どうしたら選手がやる気になるかを熟知しているはずです。

もう一度、畠山選手のバッティングを見たかった。その願いは、畠山コーチの愛弟子が叶えてくれるはずです。

畠山和洋選手、本当にお疲れさまでした。

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