館山昌平の嫁と子供!出身大学や高校は?年俸推移と投球のこだわりも紹介!

この記事では東京ヤクルトスワローズに所属し、2019年シーズン限りで引退した、館山昌平選手について取り上げたいと思います。
館山選手は度重ねヒジなどの手術をしながらもそれを乗り越え、長年ヤクルトの主力投手として活躍しました。

そんな館山選手は2005年に結婚されました。そこでお嫁さんやお子さんについて知り得た情報をお伝えしたいと思います。

もちろん館山選手の出身大学・高校など経歴やこれまでの野球歴なんかもご紹介します。
さらに気になる方も多い年俸推移や館山選手が引退試合まで貫いた投球のこだわりについても紹介しますのでお楽しみに。

館山昌平の出身大学や高校など経歴

プロフィール
名前:館山昌平(たてやま・しょうへい)
生年月日:1981年3月17日
年齢:
出身地:神奈川県厚木市
血液型:O型
身長/体重: 181cm/98kg
出身高校:日大藤沢高校
出身大学:日本大学
趣味・特技:トレーニング
ポジション:投手
背番号:25
所属チーム:東京ヤクルトスワローズ

館山選手はプロ野球選手を多く輩出している神奈川県の日大藤沢高校の出身です。

当時の神奈川県高校野球にはあの松坂大輔投手擁する横浜高校が君臨していました。

神奈川の高校野球どころか全国の高校野球の頂点に立つ横浜高校に館山投手は3度挑みましたが、いずれも敗れてしまいました。

特に惜しかったのは3年生春の関東大会決勝戦で、横浜高校を相手に延長13回まで食らいつきますが、0対1で惜敗してしまいます。
この試合が、のちに館山投手の「ピッチングのこだわり」を産みます。

高校卒業した館山選手は、内部進学で日本大学へと進みます。

同期には元横浜ベイスターズの主砲・村田修一選手、福岡ソフトバンクホークスでプレーする大野隆治捕手などがいました。

3年生のシーズンには日大を17季ぶりの優勝へエースと導いた館山投手。当時のドラフト会議は逆指名制度があり、館山投手にもその話はありました。

しかし、4年時に肘の不調が重なってしまい、結局逆指名ではなくドラフト3巡目で東京ヤクルトスワローズから指名を受け、入団します。

この時、館山投手の背番号は「25」に決まりました。前任者の副島孔太選手も含め、ヤクルトでは野手が背負うことの多かったこの番号を館山選手が選んだ理由は、「横浜に入団した村田選手の背番号と同じだから」というものでした。

プロ入りした館山選手を待っていたのはケガとの戦いでした。

プロ2年目の2004年キャンプ中に右ひじの靭帯を断絶し、トミー・ジョン手術を受けたのを皮切りに2011年には血行障害を発症、2013年には再び右ひじ靭帯断絶、2度目のトミー・ジョン手術、さらに2014年にも3度目のトミー・ジョン手術を受けます。

その他にも度々手術を行い、その合計針数は何と175針にもなりました。しかし、館山選手はケガに負けることなく立ち向かっていきました。

一度目のトミー・ジョン手術明けの2005年には自身初の2桁勝利となる10勝を挙げ、2008年から5年連続2桁勝利を達成します。

その間、2008年は勝率1位、2009年には16勝を挙げ最多勝を獲得し、石川雅規投手とともに左右のエースとしてヤクルト投手陣を支えていました。

3度目のトミー・ジョン手術を乗り越えた2015年には後半戦から本格復帰し、7月からシーズン終盤までに6勝をマーク、この年のヤクルトリーグ制覇に大きく貢献し、カムバック賞も受賞しました。

しかし、2016年以降はわずか1勝に終わり、2019年シーズンでの引退を決意します。

2019年9月21日、対中日ドラゴンズ戦での引退試合。

先発した館山投手は先頭の大島洋平選手をセカンドゴロに仕留め、17年のプロ生活に幕を下ろしました。

主な獲得タイトルと受賞歴
最多勝:1回(2009年)
最高勝率:1回(2008年、当時は表彰対象外)
月間MVP:2回(2012年3・4月、9月)
カムバック賞:(2015年)

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館山昌平の嫁と子供について

平成17年10月に館山選手は結婚されています。

気になるお相手ですが、お名前は情報がありませんでしたが、館山選手の2歳年上ということでした。

館山選手夫妻には娘さんが一人いらっしゃいます。引退試合の時、奥さんと娘さんがスタンドで観戦されていました。

娘さんは中学生でしょうか。ヤクルトのユニフォームを着ていましたが、おそらくはお父さんのネーム入りのものだったのでしょう。

奥さんも娘さんもなかなかの美人でした。

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館山昌平の年俸推移と投球のこだわり

ヤクルトの「右のエース」として長年支え続けた館山投手。その年俸推移を見てみましょう。

2003年:1500万円(契約金1億円)
2004年:1650万円
2005年:1250万円
2006年:3600万円
2007年:4600万円
2008年:6200万円
2009年:1億円
2010年:1億1000万円
2011年:1億2000万円
2012年:1億9000万円
2013年:1億9000万円
2014年:1億5000万円
2015年:9000万円
2016年:1億2000万円
2017年:1億2000万円
2018年:9800万円
2019年:2400万円

最高勝率をマークした2008年以降は長く1億円プレイヤーとして活躍した館山選手。

2015年にはその座から陥落してしまいますが見事カムバックを果たし、2016年からは再び1億円プレイヤーとなります。

現役最終年となってしまった2019年には限度額を大きく超える減俸を受け入れ現役を続行しましたが、引退ということになってしまいました。

高校3年生の春、当時最強と言われていた横浜高校をあわや倒す寸前まで追い込んだ日大藤沢高の館山投手はニュース等で大きく報じられ一躍ドラフト候補に上り詰めました。

しかし本人は横浜高校に勝ったわけでもないのに騒がれることに嫌気がさしていました。

善戦したって意味がない。試合は勝たなければならない、と。

では、試合に勝つためにはどうしたらいいか。それは「目の前の打者をアウトに取ればいい」ということに気づきます。その積み重ねこそが試合に勝つためには重要だと。

引退記者会見で館山選手は記者から「あと2個三振を奪えば通算1000奪三振になりますが」と質問され軽やかにこう答えました。

「興味がない。」

そして引退試合当日。大島選手を全力でセカンドゴロに仕留めた館山投手は颯爽とマウンドを降ります。本当に1000奪三振など興味がなかったのです。

目の前の打者を打ち取ること、それは三振である必要はない。

最後の最後までピッチングのこだわりを捨てなかった館山投手。この心意気こそ、何度も不死鳥のように蘇る原動力ではなかったのでしょうか。

この記事では館山昌平選手の経歴や家族、年俸など紹介して参りました。

通算998奪三振。プロ野球には色々な記録が数字として残っていますが、これほどまでに強烈な生き様を証明する数字を久々に見せつけられました。

館山昌平投手、本当にお疲れさまでした。

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