藤川球児の嫁と子供!出身高校は?年俸推移と愛車遍歴も紹介!

この記事では阪神タイガースに所属する藤川球児選手について取り上げたいと思います。ストレートを武器に阪神のブルペンを任される投手です。そんな藤川選手ですがどうやら結婚しているということが分かりました。

そこでお嫁さんや子供について知り得た情報をお伝えしたいと思います。もちろん藤川選手の出身高校など経歴やこれまでの野球歴なんかもご紹介します。さらに気になる方も多い年俸推移や愛車遍歴などについても調べてみましたのでお楽しみに。

藤川球児の出身高校など経歴

プロフィール
名前:藤川球児
生年月日:1980年7月21日
年齢:
出身地:高知県高知市
血液型:O型
身長/体重:185cm/85kg
出身高校:高知県立高知商業高等学校
趣味・特技:グルメツアー
ポジション:投手
背番号:22
所属チーム:阪神タイガース

藤川選手の家族は両親に兄が1人。父親は介護関連の実業家で、女子のソフトボールチームを保有しています。本人も野球好きで、草野球でノーヒットノーランを達成した翌日に生まれたため、藤川選手に「球児」という名前を付けたそうす。また藤川選手の兄も藤川選手同様に高知商業で野球をし、四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスのゼネラルマネージャーを務めました。この高知ファイティングドッグスには、後に藤川選手も在籍します。

藤川選手は少年野球チームで遊撃手から投手に転向します。高知商業へ入学すると2年生のときに、兄と共に夏の甲子園に出場しますが2回戦で敗れます。高校時代は後に千葉ロッテマリーンズへ入団する寺本四郎選手、法政大学を経て横浜ベイスターズへ入団する土居龍太郎選手と共に高知三羽烏と呼ばれました。1998年のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受けて入団します。背番号は「30」に決まりました。

ルーキーイヤー、2年目は二軍で過ごします。3年目は背番号を名前にひっかけて「92」に変更し、星野仙一新監督のもとで先発起用されますが、目立った成績は残せませんでした。翌年も二軍で過ごしますが、その翌年である2004年にフォームを改造し中継ぎへ転向し、一軍へ定着します。

2004年オフには背番号を「22」に変更。2005年シーズンは阪神の勝ちパターンJFKのFとしてプロ野球新記録となる17試合連続ホールドを達成、当時の最多登板記録である80試合に登板し、53ホールドポイントで最優秀中継ぎ賞を獲得しました。この年、藤川選手は中継ぎ部門で初めてオールスターゲームへ出場しています。

2006年にはWBCの代表に選ばれます。シーズンでは抑えに転向し、38試合を連続無失点で抑え、47イニング無失点の球団記録を塗り替えます。2007年も抑えとして10試合連続登板をするなど最多セーブと3年連続100奪三振を記録しました。

2008年には北京五輪の代表に選ばれる中、通産100セーブを達成します。翌2009年はWBCの代表に選ばれますが不振から守護神の座をダルビッシュ有に明け渡すと、シーズンも5月までに3敗を喫します。しかし後半に復調し、25セーブを記録しました。

2010年は抑えとセットアッパーを半ば兼任する形で成績を落としますが2011年には復調。100ホールドを達成します。翌年には200セーブを達成、海外FA権を行使し、藤川選手はシカゴ・カブスへ入団します。

カブスではクローザーの不振により代役でクローザーを務め好成績を残しますが肘を故障します。手術を受けることとなり、翌年オフにFAとなります。2014年はテキサス・レンジャーズへ在籍し、5月22日に自由契約となり、地元高知の高知ファイティングドッグスに移籍します。

高知では登板ごとに契約、藤川選手自体は無報酬という異例の契約で一年在籍し、翌年阪神へ復帰します。復帰当初、藤川選手は先発を務めますが成績不振と中継ぎ投手の不振からクローザーに復帰します。2017年からは中継ぎで様々な場面に登板しています。

主な獲得タイトル
・最優秀中継ぎ投手:2回(2005年、2006年)
・最多セーブ投手:2回(2007年、2011年)
・月間MVP:2回(投手部門:2005年6月、2008年9月)

スポンサーリンク

藤川球児の嫁や子供について

藤川選手は阪神に入団して2年目の2000年に結婚しています。奥さんは元看護師の一般女性で、顔や名前などは公表されていません。

ただ藤川選手とは高知商業時代の同級生とのことで、高校時代から交際していたようです。この結婚は藤川選手の同世代、いわゆる松坂世代の中で一番早いものでした。

そんな藤川夫妻の間には、お子さんが3人います。男の子が1人、女の子が2人です。男の子の名前は温人(はると)くん、女の子の名前は絢英(あゆな)ちゃんと言います。もう一人の女の子の名前は分かりません。

スポンサーリンク

藤川球児の年俸推移と愛車遍歴

ここでは歴代最高クラスのリリーフ投手である藤川選手の年俸推移をご紹介します。

1999年・・・700万円(※契約金1億円)
2000年・・・700万円
2001年・・・780万円
2002年・・・700万円
2003年・・・1250万円
2004年・・・1550万円
2005年・・・2200万円
2006年・・・8000万円
2007年・・・1億7000万円
2008年・・・2億8000万円
2009年・・・4億円
2010年・・・4億円
2011年・・・4億円
2012年・・・4億円
2013年・・・400万ドル(約4億円)、契約金100万ドル(約1億円)
2014年・・・400万ドル(約4億円)
2015年・・・170万ドル(約1億7000万円)
2016年・・・2億円
2017年・・・2億円
2018年・・・2億円

最後にこちらも気になる人が多いと思われる藤川選手の愛車遍歴についてご紹介します。
藤川選手が最初に購入したのはポルシェ・カイエンターボです。ポルシェが発売するスーパーSUVに高出力のエンジンを搭載したモデルで、藤川選手は自分のイニシャルを刺繍したシートを特注していたようです。一般価格はおよそ1800万円からです。ただこのカイエンターボは、中古で金子千尋選手に売ってしまったそうで、現在は保有していないそうです。


【出典元:https://www.porsche.com/japan/jp/models/cayenne/cayenne-turbo-models/

また藤川選手はランドローバーのレンジローバーも所有しています。レンジローバーはランドローバー社のフラッグシップモデルともいえる4WDです。「砂漠のロールスロイス」などとも呼ばれます。価格はおよそ1500万円からです。


【出典元:https://autoc-one.jp/catalog/landrover/rangerover/photo/#tab

また普段使う愛車としてはマセラティ・クアトロポルテを所有しているようです。イタリア車らしい優美なデザインと快適性を併せ持つラグジュアリーサルーンです。価格はおよそ1300万円からです。


【出典元:https://www.autocar.jp/firstdrives/2016/06/17/174737/

この記事では火の玉ストレートで日本屈指のリリーフ投手となった藤川球児選手のこれまでの経歴や野球歴、嫁や子ども、年俸推移や愛車遍歴について紹介してきました。

藤川選手の同世代はベテランとして現役生活も佳境ですが、藤川選手は未だに元気に一軍で登板しています。阪神の中継ぎは若くていい選手も多いので、藤川選手の経験が活きる場面はあるのでしょうか。これからの活躍に期待したいですね。

スポンサーリンク
スポンサーリンク